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METAL HAMMER JAPAN 編集部ブログ

コリィ・テイラー&ショーン・クラハン/スリップノット【『METAL HAMMER JAPAN Vol.7』より】

20年目の超激

衝撃的重音作『アイオワ』の誕生と、崖っぷちにいたバンド

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 1999年にリリースされた1st『スリップノット』は、そのモダンなサウンドとショッキングなルックスで、メタル、パンク、ハードコア……と、ジャンルの垣根なく多くの過激音楽ファンを一瞬にして虜にした。その2年後となる2001年8月に発売された2nd作『アイオワ』は、前作の奇抜さをそのままに、よりヘヴィデューティになった音像にて、より広いメタル・ファンからの支持を得た。そう、常に激烈なアルバムをリリースし続けるスリップノットだが、メタル・ファンにとってのNo.1アルバムはやはり『アイオワ』なのだ。
 しかし、本作の制作には、知られざるバンド内の歪が伴なっていた。コリィ、ショーンというバンドの中心人物から、プロデューサーであるロス・ロビンソンといった重要関係者は、この作品をこのように振り返る。リリースから20年目に語られる『アイオワ』の真実。

Text by Dannii Leivers
Interpretation by Tommy Morlay

 

期待する人たちの声に、俺らはまったくもって耳を貸すことはなかった。
>コリィ・テイラー

 ”ねちっこい何かがこのアルバムにはある。まるで、一週間放置したハムのようにね”――と、スリップノットのヴォーカリスト、コリィ・テイラーはゆっくりとした口調で話す。時折サディスティックな笑みが顔中に広がる。“体に染み込んでいて、まるで肉の加工工場に長時間いたときのように、体から臭いが感じられてしまうんだよ”

 『アイオワ』がリリースされてから20年が経過した今、もはやそのシミを体から洗い落とすことはできない。世界を大きく変えたセルフ・タイトル・デビュー・アルバム『スリップノット』の次の作品にスリップノットが取りかかった際、こんなにもおぞましく腐食性のある大傑作が生まれるとは誰も想像していなかったことだろう。バンドが迎えていた最も暗黒な時期に作られた『アイオワ』は憎悪に包まれ、バンド自身や音楽産業、ひいては全世界に対する宣戦布告でもあった。

 “スリップノットみたいなバンドがブレイクすると、誰もが<さらに突っ走って次のレベルを見せてくれること>を期待するものだ”と語るのは、ロードランナー・レコードの前エグゼクティブA&Rで、1998年にバンドとサインをしたモンテ・コナー氏。“もう少しコマーシャルなものを作り、メインストリーム寄りなアルバムを作るなんてことをスリップノットはやらなかった。彼らはさらにヘヴィな方向に歩んでいったんだ。もっとビッグになろうとか、ラジオ向きの曲を書こうといったことは一切やらなかったさ”

 “次に進む方向を想像したり、あれこれ期待する人間たちの声に、俺らはまったく耳を貸すことはなかったね”とコリィは話す。昨年リリースしたソロ・アルバム『CMFT』を引っ提げ、ソーシャルディスタンスに配慮したアメリカ国内のショウを終えリフレッシュした彼は、幾分かしゃがれた声で我々のインタビューに応じてくれた。“おかげで、むしろ俺らはバンドとして上の階級に昇り、エクストリームなまでにヘヴィな音楽を作ることになったんだよ。俺らのジャンルのなかでそんなことをしていたヤツらはいなくて……まぁ、そもそもそのジャンルっていうのがなんだったのか、それは俺の知ったこっちゃないけどな”

 『アイオワ』のサウンドはバンドがヒット競争のために守りに入ることを拒否し、バンドを食い物にしようとする悪質な業界へ“fuck you”を突きつけるものであった。デス・メタルや血みどろのハードコアから生まれてきた彼らであるから、「ウェイト・アンド・ブリード」のようなラジオ向きのアンセムが本作に収録されることはなかった。ましてや仲間同士でヘッドロックをし合って暴れまわる「スピット・イット・アウト」もない。しかし本アルバムは祖父が亡くなったことを知った直後のDJシド・ウィルソンの悲しみの叫びによる「(515)」がオープニングを飾っている。

 そしてそのアルバムは、苦痛のなかで叫ぶコリィ・テイラーの発狂したスクリームで終える。ヴォーカル・ブースにて全裸で歌入れを行なった際に割ってしまったガラスで傷を負い、恐怖を感じさせるサウンドトラックに仕上がっているのだ。

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俺らが『アイオワ』を作っていたとき、バンド・メンバーは互いのことを憎み合っていた。
>ショーン・クラハン

 “これは俺らが夢見てきたことの反動だったんだ”と電話の向こうで話すのは、パーカショニストのショーン“クラウン”クラハンだ。スリップノットの次のアルバムのレコーディングからのオフを取り、妻と愛犬とともにパーム・スプリングに向かう最中でインタビューに応じてくれた。“最初のアルバムに伴う18ヵ月にも及ぶ一連のサイクルで、俺らはさまざまな人たちからの提案を受けていて……まるで操り人形のような気分になっていったんだ。俺らはスリップノットなんだぜ。俺らは夢を追いかけ続けてきた。俺たちの文化とともにライヴをやるってことが夢だったんだ。ビデオやアルバムを作ることじゃなかったし、ましてやエージェントやマネージャーなんて考えたこともなかった。すべてはパフォーマンスをすることにあった”

 そして“大抵、誰もが2ndアルバムを作る頃には飼い馴らされ、バンドが置かれた立場を理解し、自分の意見がそこまで重要じゃないってことを感じ始めるもんだ。しかし俺らはロードランナーが送り出した初めてのプラチナ獲得バンドだったから、誰からもあれこれアドバイスされるってことはなかったね。バンドが家路についてひと息ついた頃、次のアルバムは世界にとっては邪魔で、俺らから無理やり突きつけるようなものになるだろうと強く感じていたさ”と続ける。

 リンプ・ビズキットやリンキン・パークと同じシーンから生まれたにも関わらず、スリップノットは常に過激なまでにダークかつカオスだったため、ニュー・メタルの型に収めることはできなかった。『アイオワ』はその範疇を完全にはみ出ていき、バンドは自分たちだけのジャンルを作り出していったのだ。

 ただし、当時は彼ら自身、ある種の崩壊を迎えている時期でもあった。地元デモインで仕事に行き詰っていた状態からあっという間に地球上で最も有名なメタル・バンドになってしまったことによる葛藤に苦しみ、バンドの結束は失われかけていった。短期間でさまざまな中毒症状を体験するようになり、家族との隔離や蝕まれていく精神状態を経て、寄せられるプレッシャーによって燃え尽きる寸前だったのだ。

 “俺らが『アイオワ』を作っていたとき、バンド・メンバーは互いのことを憎み合っていた”。ショーンは昨年のインタビューでもそう語った。“俺らは世界を憎み、世界も俺らを憎んでいたね”

 

◎続きは『METAL HAMMER JAPAN Vol.7』でどうぞ

 

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