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METAL HAMMER JAPAN 編集部ブログ

ジェシー・デイヴィッド・リーチ&アダム・デュトキエヴィッチ(キルスウィッチ・エンゲイジ)×ジャスティーヌ・ジョーンズ(エンプロイド・トゥ・サーヴ)【『METAL HAMMER JAPAN Vol.10』より】

 ミュージシャンによるミュージシャンへのインタビュー、前回[マルテン・ハグストロム(メシュガー)×ロブ・フリン(マシーン・ヘッド)]から続いては、エンプロイド・トゥ・サーヴのジャスティーヌ・ジョーンズが、キルスウィッチ・エンゲイジのジェシー&アダムに話を聞いてくれた。
 ニュー・メタルからメタルコアへと流れるブームを作った主要バンドと言えるキルスウィッチ・エンゲイジは、今最前線でラウド・サウンドを鳴らすバンドにも大きな影響を与えた存在であり、もちろんエンプロイド・トゥ・サーヴもそのなかのひとつ。ジャスティーヌはふたりから、その真髄を聞き出すことができたのか?

 

Interpretation by Tommy Morly


“エモーショナルな小さな男だ!”って感じだったね(笑)。

>アダム・デュトキエヴィッチ

 20年前、もしあなたが“メタルコア”という単語を発したら、ほとんどの人は、何について話しているのかさえわからなかったことだろう。ニュー・メタルがメインストリームを席巻していた状況下、ハードコア・パンクやクラシックなスラッシュから派生したこのジャンルは、ごく一部のアンダーグラウンドかつ熱心なファンのみが知るもので、リンキン・パークやリンプ・ビズキットといったさまざまなバンドから注目を奪うチャンスなど一切なかった。そこにキルスウィッチ・エンゲイジがやってきたのだ。
 この5人組バンドは大きな成功を果たし、メタルコアは今や最も支配的なジャンルのひとつとなった。彼らなくして、パークウェイ・ドライヴ、アーキテクツ、スピリットボックス、ホワイル・シー・スリープス、ベリー・トゥモロー……その他いくつものバンドが存在していなかったかもしれない。彼らがアンダーグラウンド・パンクからメタルコアの王者になるまでのスリルに満ちた旅――ハワード・ジョーンズ期(2002~2012年)とその後を含む――について時系列に沿って追いかけるには、彼らのことをよく知る人物が必要だ。そしてKSEに強く影響を受けたバンド、エンプロイド・トゥ・サーヴのリード・ヴォーカリストであるジャスティーヌ・ジョーンズは、嬉々として自身のヒーローであるジェシー・デイヴィッド・リーチ(vo)とアダム・デュトキエヴィッチ(g)を直撃した。彼らはどのようにしてメタル史における重要なバンドのひとつへと進化していったのだろうか。

 

 

ジャスティーヌ・ジョーンズ バンドが始動した1999年、マサチューセッツのウェストフィールドの音楽シーンはどのようなものだったの?

アダム・デュトキエヴィッチ とてもサポート的なシーンで、俺らみたいなバンドやシャドウズ・フォールなんかが互いに助け合っていたよね。ただあまりにも近親相姦的なところでもあって、シャドウズ・フォールのジョン(ジョナサン・ドネイズ/g/現アンスラックス)と俺は、それ以前に一緒にプレイしていたことがあったよ。マイク・ダントニオはオーヴァーキャストというバンドをやっていて、シャドウズ・フォールのブライアン(フェア/vo)と一緒にプレイしていた。しかしこれはナイスなことだし、小さなファミリーみたいなものさ。

ジェシー・デイヴィッド・リーチ 俺からするとマサチューセッツ西部っていうのはメタルも盛り上がっている感じがあって、俺が昔住んでいたロード・アイランド州のプロヴィデンスは、もっとハードコアなものが盛んだった。だからこういったスタイルの混ざり合いがあのとき起ころうとしていたことに大きな影響を与えたんだと思う。クレイジーなストリート・ハードコアとマサチューセッツ西部に見られたメロディックなヨーロピアン・メタルっぽさっていうのが、それから起ころうとしていたことに決定的な役割を果たしていたと思うね。

ジャスティーヌ あなたたちが最も音楽的影響を受けたのはどういった人たち?

ジェシー アグノスティック・フロントからスラップショット、クロ・マグスやインテグリティだけど、俺はデス・メタルにもかなり入り込んでいてね。グレイヴ、サフォケイション、オビチュアリー、エッジ・オブ・サニティも好きだったな。彼らはメロディックなヴォーカルとグロウルをミックスするスタイルの先駆者だったと、俺は今でもそう思っているよ。そういった意味でいうとパラダイス・ロストやオーペスといった多くのヨーロッパのバンドは、USハードコア・シーンにとてつもないインパクトを与えたと思うね。

アダム 俺はいかにもなハードコア・キッズのひとりで、それは今やっていることのすべてに影響を及ぼしている。ただジェシーも言うように、当時ってイン・フレイムス、ナパーム・デス、アット・ザ・ゲイツ、カーカスみたいなバンドに代表されるヨーロッパ・メタルの波が押し寄せていた頃だったから、それらのバンドがすべて俺らのなかに入ってきたって感じだね。

ジャスティーヌ アダム、あなたが感じたジェシーの第一印象は?

アダム “エモーショナルな小さな男だ!”って感じだったね(笑)。

ジェシー ほとんど何も変わってないけど!

アダム 彼のクリーン・ヴォーカルはアメイジングで、それにかなりグッときたよ。もし俺らのなかで歌うことになったら、バンドに新しいグルーヴを加えることになるなと感じていたね。けっこうな数のヴォーカルを見てきたけど、ジェシーは跳び抜けていた。アメイジングな声を持ったエモーショナルな小さな男だったんだ。

ジェシー 歌詞は常に大切なもので、そもそも俺は最初は詩人だったし、やることすべてにその背景を持ち込んでいる。だから“エモーショナルな小さな男”っていうのはかなり的確な表現だね。

アダム 大きくて皮肉なクソ野郎よりマシだろ!

ジェシー そいつはヤダね。アダムはほかの誰とも違っていて、それがかなりクールに思えたよ。彼にはパンク・ロックな“ファック・ユー、俺はお前のことなんか知ったこっちゃねぇゾ”みたいなアティチュードがあった。しかもこいつはステージ上ではモンスターだけど、ステージを降りたらかなりフレンドリーでクールなナイスガイでもあって。

 

ああいったやり方は俺らのスタイルではなかったよね。
>ジェシー・デイヴィッド・リーチ

ジャスティーヌ 『アライヴ・オア・ジャスト・ブリージング』(2002年)をリリースしたとき、“棺に当時のニュー・メタルのファッションを詰め込んだイメージ”とともにプロモーションが行なわれました。あなたたちはニュー・メタルをぶっ殺しにいこうとしていたんですよね!?

アダム いやいや、俺らは誰も殺そうだなんて考えてはいなかったよ。あれは俺らのレーベルによる恥知らずなプロモーションの一環だったんだ。かなり滑稽だったと思う。

ジェシー 新しいバンドをプッシュするともなると、人をエキサイトさせるポイントを持たせたくなるものさ。そして俺らは当時流行っていたものとは異なる何かをやっていたんだけど……ああいったやり方は俺らのスタイルではなかったよね。

ジャスティーヌ ニュー・メタルについてはどう思っていたの?

アダム 弦が6本も張ってあるのに1本しか使わないようなギター・プレイヤーは好きじゃないな。

ジェシー いくつか見習いたいところもあれば、そうじゃないところもあるけど、俺はデフトーンズが大好きさ。彼らがやっていたことって驚異的だし、KOЯNにも文句なしのリフがいくつかあるよね。当時は確実にニュー・メタルを嫌っていたけど、振り返ってみると、最近流れているような音楽よりは好きなものがいくつかあるかな。あっちはコマーシャルなサウンドで、俺らはアンダーグラウンドだったわけで、どことなくああいうのが陳腐に感じられたんだよ。

ジャスティーヌ 「マイ・ラスト・セレナーデ」はあなたたちにとって大きな曲だけど、どのようにして生まれたのかしら?

ジェシー 歌詞に関していうと……俺は寝室にいて、心を痛めていた。この曲では引き返せなくなることの心情を歌いたかったんだけど、もっと哲学的な意味を込めていくうちに、人間同士の関係性を歌っているような曲になったんだ。単に誰かとの関係というよりも、もっと深いものだね。まるで電球が頭のなかで光るような瞬間があって、アダムにそのことを話したら“この曲には特別なものがある”って話になって。あのメロディ・パートは俺が持ってきたんだけど、アダムがこれを適切な方向へと後押ししてくれたんだ。そして一度ハマって作り込むことで、特別なものになることが確信できた。

アダム 俺は曲全体を書いたけど、ブリッジ・パートはジョエル(ストレッツェル/g)だね。

ジェシー 本当に? それについては知らなかったな。あのリフは好きだよ。バッド・ブレインズみたいなノリがあって、大好きさ。

◎続きは『METAL HAMMER JAPAN Vol.10』  でどうぞ 

 

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